やりたいことをやるのにリスクはつきものだ。

物質的なものはもちろん
精神的ダメージというのも、かなりイタイ。


<非難と批判の違い>

非難は怖いけど

やりたいことをやるとき、
そのことによって喜んでくれたり、心救われる人のほうが、
非難する人間よりも、圧倒的に多いという事実がある

ちなみに
非難と批判は少し違う。

批判は…

あなたもっとこうすれば良くなるのでは?
こういう意見もあるよ?

愛が含まれる


非難は…

私に不都合なことを言わないでよ!
こっちを見て!

自分都合、エネルギー泥棒


非難をする人間の心をよく観察してみると

他者への依存、
環境への依存、
無知の無自覚、
甘え、ウソ、妬み、ひがみ…

偽善面の下にはそういうものがたくさん潜んでいる。

自分は安全地帯に安住し、
自分では1歩も動かない。

あー、腹立つ(-_-;)


「まーまー、そう怒るな。」

あ、そらねこ様、どうも。

「そうしたい人間には、そうする自由がある。
放っとけばいいんや。
したいように、言わせたいように、させてやるんや。」

…えー(-_-;)

じゃあ、反論したりせずに我慢しろと?
この煮え切らない気持ちをどうすればいいんですか?

「そういう連中の声に、耳を貸すか貸さないか。
あんたは選択できるはずや。
相手と同じ次元に降りたらアカン。」


<リスクを払ってでも、やる価値のあることをやる>


誰かを傷つけることを怖れて
誰かに非難されることを怖れて
誰かに嫌われることを怖れて
誰かに否定されることを怖れて

↑ 1歩も動かない、発言しない人生


一方、

誰かを喜ばせるために、やる
誰かの心が救われるために、やる
誰かの1歩踏み出す勇気に繋げるために、やる
新しい価値の創造・幸福の連鎖のために、やる

↑ 非難や恥のリスクを支払ってでも、やる人生


「どっちの人生にも、『誰か』の存在は不可欠や。
ただ、あんたが、
どっちの『誰か』に焦点を当てて生きたいのか、決めるんや!」


うーむ。

私は、

誰かを喜ばせるために、
誰かの心が救われるために、
誰かの勇気に繋げるために、
やりたいです!

「その意気や(^^)」

そう、我々は、
他者のメンツを守るために生きてるんじゃない
自分の道を生きるために、生きてるのだ。
人生はお互い様。

誰に何を言われようが
淡々と、今という点を繋げていくことに徹すればいい。
淡々と、今ここを生きていればいい。


人生は、上手くできるかどうかではなく
やるかやらないかの連続だ。

淡々と、

自分の内なる声(ハイヤーセルフ)に耳を澄まし、進んで行けば、
自然と、

出会うべき人に出会い
繋がるべき人と繋がり
別れるべき人と離れていく

別離には
痛みを伴うかもしれないが、

それが、
人間が前進するときの兆候なのだ。

だから、

起こる現象を怖れずに
自分の声を聴こう。

そうやって前進していくうちに、
非難はやがて通り雨のように去っていくだろう。
2142
↑伊勢 二見興玉神社にて

さぁ今日も
トライ&エラーや!