男性でスピリチュアルな話をふつうにできる人って
あんまりいませんよね。

スピリチュアルな感覚がふつうにあって、
それをふつうに出せる男性は、
突き抜けて成功しているか、
根無し草的な人か、
極端に分かれる気がしています 笑

(これからの時代は、
その中間の人も増えてくると思いますが)

私のだんなさんは、
私の考えや感性を尊重してくれて、
聞く耳を持ってくれていますが

たとえば
一般的なビジネスシーンなどで
スピリチュアルな感覚を持ち出すと
だいたい変な空気が流れます 笑

「お金」とか「効率」が重んじられるシーンでは
スピリチュアルな感性って、
敬遠されてしまうんですね

でもスピリチュアル的に言えば、
本当は、

結果(予想される範囲の成果)を手放し
起こるプロセスを100%信頼することで
予想以上の「お金」だったり「望む現実」を
引き寄せられる
のですが

ついつい

目の前の
「人(業界)」
「お金」
「効率」
「常識」
「業界内で認められたい欲」
「常識的に私はデキる人間である、というアイデンティティ」

などの「枠」に
しがみつき、
その枠内でのチカラを証明することに
エネルギーを注いでしまう


そんな状態のくせに、
一方では、

スピリチュアルな感性や叡智を、
なんとか「ふつうのこと」として
認めてほしい欲
があって…

それらを裏付けてくれそうな
理論や、科学的実証や、理屈を
むりやり左脳的、男性脳的に
こじつけようとする
日々

……

この数日
色々内観、瞑想していて(迷走か?笑)

こういう左脳的なこじつけ
ぜんぶ捨てたくなったんです

といっても、
今までも
捨てたい、いや、まだダメだ、やっぱ捨てたい…
という葛藤の連続で、
捨てたらどうなるのか?
を何度も何度もイメージしてみたのだけど

結局、捨てられてませんし、
捨ててみないと
答えは分からないんですよね。

で、

その左脳的なこじつけを
捨てるか捨てないかは
置いといて…

じゃあなぜ、

スピリチュアルな感性や叡智を、
なんとか「ふつうのこと」として
認めて欲しいのか?

もっと言えば、

「ふつう」って何?

そして

誰に認めてほしいのか?

という所なんですけど、

男性脳、左脳、理論、理屈…
これって、
「父性」なんですよね。

それを必死で証明しようとしている…

私にとって
世の中(= ふつう)とは、
男性的であり、
権威というのもに、
父親を重ねて見ていた
のかもしれません


「権威との葛藤」って
心理学用語でいうんですけど

父親から得られなかった承認を
どこかで得ようとしてる
らしいのです

ある意味ファザコンとも言えますね 笑

「権威との葛藤」を抱える人は、
私もそうですが

「父」を連想させるような
偉い立場の人や、人物に対して、

妙に構えてしまったり、
なぜか反抗的な気持ちになったりします。

というのも、

父親との関係性の中で、
未解決な感情があるのですね

(ここまで客観視できるようになって
やっとこうして言語化できるようになりましたが)



そういうことに気づいただけで、
人生は好転していきます。

気づくだけでいいのです

(父を変えようとか、自分を変えようとしなくても)

気づき
認め
許す(父との摩擦 = 社会不適合な自分を)

これだけで、
随分と呼吸がしやすくなる

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デザートに、いただき物のりんご^ ^

読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^ω^*)