いったいどこまで行ったら成功なのか
いくら稼いだら成功なのか

分からないけど
成功したいという想いがずっとあった

成功を目指さない人を
心のどこかで見下して

成功しているであろう人のことを
リスペクトし、観察し続けた

成功を手にしないまま死んでしまうことが
いちばんの後悔だと思った

成功を手にすることができるのなら、
嫌われてもいいと思った

成功さえすれば
彼らは振り向いてくれるものだと思った

成功さえすれば
今悩んでいることも解決すると思った

成功さえすれば
劣等感はなくなると思った


しかし成功って
どこまでやれば成功なんだろう?
上を見ればキリがない


これ以上、
息切れし続けるのは
ちょっとキケンだ

なので今度は

成功という言葉の強さをちょっと緩め、
「やりたいことやろう」的な、
「自己実現している私」を目指すことにした

トーンダウンしつつも、
意識の高さは持続していくのだ

「意識高い系だ」と
揶揄するやつはすればいい

やりたいことを実現して輝いていれば、

私をバカにしたあいつらも、
いつかきっと悔しがるだろう

輝いている自分に
嫉妬の矢も飛んでくるだろう

しかしそれによって
私の劣等感は
優越感に塗り替えられるのだ

さあどんどん嫉妬するがいい
どうぞ生霊飛ばすがいい

嫉妬されることで
自分の優位性を証明してやる

さあもっと輝かねば


……


ところが最近

リスペクトしているものに
違和感を感じるようになった

何も目指していない
雑草だった頃の自分を思い出して
ふと泣きたくなる

あれは幸せだったんだなぁと。


人のことを
上に見るのも下に見るのも
もうイヤだ


そこから自由になりたい



バカにされないための「何か」

その呪縛を
そろそろ解きたい



本当の成功とは?

心のままに
泣いたり笑ったり
ヘタこいて恥かいたり
爆笑したり
恋したり失恋したり
子どもが愛おしくてたまらなかったり
ケンカして揉みくちゃになったり
仲直りして心温まったり
親を恨んでみたり
引きこもってみたり
病気になってみたりケガしてみたり
誰かを嫉妬してみたり
悲しくて仕方なかったり

そういうのを
そのまま味わうだけで
全然いいのだな


バカにされても
金がなくても
地位がなくても
間違ってても
やりたいことなんかなくても

堂々と「私はここにいます」と
デカい顔ができる

それが本当の「輝き」
なのだな


「やりたいこと」とか
「成功」とか
「幸せ」などの、

そういう「何か」を目指すあまり、

フツーに見える奇跡の連続を
見落として毎日が過ぎていくことが
本当に悲しい

自分のカラダが、
勝手に24時間働いてくれてて、
何かの拍子に心臓止まったり
血管切れたりすることもなく、

今日も元気に話ができることは
そもそも奇跡

生きてるだけで100点満点なのに


「何か」を目指すあまり、
モノコトに深刻になるあまり、
色んな景色を見逃している

もったいない

雑草に戻りたい



とはいえ、
私にはまだ夢がある


雑草に戻ることと
夢を手放すことは
同じではない

しかし

「叶ったら成功で、叶わなければ失敗である」

という前提を、外そうと思う


叶っても叶わなくても大丈夫な自分でいること。
踏まれても笑われても大丈夫な自分でいること。

それが本当の成功であり、輝きだから
1D9A9938a

今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^-^*)