今日、撮影の仕事場で子どもたちをスナップしてたんですけど、
みんなが休憩して遊んでる中、
一生懸命ちり取りでゴミを拾って掃除してる子がいたんです。

えらいなぁ、かわいいなぁ…と思って、
思わず声をかけようとしたんですけど、
踏みとどまりました。

その理由が…


私は子ども時代、勉強も運動もダメで
何の取り柄もない目立たない子どもだったのですが、
唯一、掃除は真面目にやってたんですね。
それが自分的に気持ち良くて

ある時、先生がそんな私の行動に気づいて、
ホームルームの時間に、
みんなの前で私のことを褒め称えたんです。
「みんなも彼女を見習いましょう」と。

その日は嬉しくて、
こんな自分でも何か役に立てるんだ、と
誇らしい気分で家に帰りましたが、

次の日から、
掃除の時間になると、
先生やクラスメイトの目が気になって…笑

あいつ、また褒められようとして頑張ってね?
掃除で優等生気取りかよ?勉強も運動もオンチのくせに
さあ見せてもらおうじゃないの、その掃除テクを

そんな声なき声に反応してしまい、笑

自分に「今まで通り、今まで通り…」と、
呪文のように唱えるのですが、
やっぱりちょっとギクシャクしてしまって。

その日以来、
「気持ちよく掃除する!」じゃなくて
「頑張ってない感」をどうやって出せるか?
自分ミッションになってしまいました。

心が「自分の内側を満たすこと」ではなく、
「外側への証明」に向いてしまったんです。

あのホームルームによって、日に日に
「無心で掃除をする気持ち良さ」を奪われたことへの、
怒りすら湧いてきて。


褒められたくてやってんじゃねーわ、
ということを証明するために、
いっそ、サボってやろうか?
と思うようにもなりました。

自分らしさを完全に失った瞬間ですね。笑

ミスチルの歌に
「自分らしさの檻の中でもがいているなら、誰だってそう、僕だってそうなんだ」
っていう歌詞がありましたよね。
学生時代これ聴いて泣いてたんですけど、笑
「自分らしさ」という檻を、壊して、また創って…
の繰り返し
なんでしょうね。人生とは。

先生に罪はないんですよ。
私の良いところに目をつけてくれた先生には今でも感謝してます。
私の性格に問題があるんです。笑

でも、
こういう性質のある人間は意外に多いと思うのです。


アドラー心理学では

褒める = コントロールすること(相手を下に見ている)
らしく、

私にはそれがぴったりハマって。
もう、納得納得で。

(アドラー心理学は、ベストセラー本の「嫌われる勇気」は分かりやすいです)

褒められて伸びる子と、ポシャる子。
両方いますよね。
私は圧倒的後者でした。
(大人になった今は褒められたら嬉しいです笑)

そういう子には、受容的態度を示し、
淡々と好きにやらせてあげれば
勝手に伸びていくんじゃないか、と思います。

ただ、

この子はどうしてほしいか?
その見極めが難しいですけどねー

全員に通用する正解はないですからね。

息子が、褒められたいのか放っておいてほしいのか、
いまだに読めないことも多く。

「がんばったねー♡」
って言ったら

「がんばってない!!」
と怒られたこともありました。笑

魂的には親より子どもの方がレベルが高い。
まだまだ学ばされます。

****

読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように( ^ω^ )