こんにちは、そらまいです。
先日、奈良の天河神社へ祈祷を受けに行ってきました。
かれこれ5〜6年、定期的に行ってます。
昔は天川というと秘境なイメージでしたが、
最近は交通の便もよくなって、
芦屋からだと日帰りでもサクッと行けちゃいます。
以前、ここでおみくじを引いたスピリチュアル女子グループが、
おみくじの詳しい意味を聞くために、
宮司さんに群がっているのを見て、
おみくじの意味くらい自分で考えろって
これだから嫌なんだよ
くれくれマインドの女どもは
なんて斜に構えていた自分でしたが、
(ホントすいません)
この日、どうしても今後の仕事の方向性に
何かメッセージがほしくて、
自分もおみくじを引いてみたら、
凶!!
そして漢文?!
これは分からん。。
(だから彼女たち宮司さんに群がってたのね…)
私も思わず宮司さん探しました。笑
スピリチュアル女子を揶揄しがちな自分ですが、
自分だけは違う、と思うのも傲慢でしたね。( ;∀;)
ごめんなさい。
さて、
宮司さんは祈祷中だったので、
社務所の巫女さんに聞いてみると、
「ネットで出てくるかも」
とのことでしたが、
じつはこの日、
スマホもタブレットも家に忘れてきてしまって、
ネットで検索とかも一切できない状況だったんです。
しかも、だんなもスマホ忘れてきてて。
こんなことある!?笑
まぁ、そういう機器から離れて
マインドを休める時間も必要なのね、
なんて話してたんですけど
そういえば私、
一応短大の国文学科出身だったことを思い出し、笑
自分で読んでみると、何とか意味は掴めました。
詩の部分をポイント要約すると
「雨風をしのぐ宿もなく、艱難辛苦をきわめる」
「はやく過ちに気づき、改めなさい」
「人との和を大切に、慎み、今は待ちなさい」
という内容。
なにを改めろと言うのですか…( ;∀;)
写真屋やめろってこと?
もの書きやめろってこと?
それともタロットやめろってこと?
いろいろ考えたけど、
ピンとくる答えはなく。
一般的におみくじは、
大吉とかは持って帰って、凶とか悪いものは神社に結ぶ、
なんて言いますよね。
でも本当は、書かれてある内容が大事なんですよね。
凶だろうが大吉だろうが。
たまに大吉でも「え?」って思うような
厳しいことが書かれてあったりもするので、
注意が必要です。
で、
黙って考え込む私に、
だんなが「あんまり気にせんと、早く結んどいでよ」って言うんですけど、
私には、この「凶」が
ものすごく意味のあるメッセージに思えて、
これが一体何を意味しているのか熟考するため、
持ち帰ることにしました。
…
家に帰って、
さてタブレット開いて、
やりかけの仕事をやろうとしたとき、、
ピンときました。
数日前から、仕事上で計画していたことがあって、
タブレットでその企画を作ったりしてたんです。
それを改めて見たとき、
これや。これやめよう!!
って、すぐ気づきました。笑
スマホもタブレットも家に忘れてなければ、
きっと天川でも、これの続きをスキマ時間に書き書きしてたと思います。(^-^;
家を出るときからのすべてが、
メッセージだったかのようです。
タブレットから一旦離れないと、
この企画がよくない(= 動機がエゴだらけ)ってことに、
気がつかなかった。
おみくじの詩にあるように、
この企画を押し通したとしたら、人との調和は乱れ、
大きな損失を招いていたかもしれません。
凶こそ、神さまからの愛だと思って、
これでもかっていうくらい内観すべきでしょうね。
いやホント、神さまありがとう!
な出来事でした^ ^
ちなみに、
真面目な人は、「なんか違うかも…」と思っても、
やりかけたことを途中でやめることに抵抗があるかもしれませんね。
しかし、その抵抗の正体って、
○○さんが応援してくれてるのに…とか、
途中でやめるなんて根性がない(カッコ悪い)、とか、
よく掘り下げてみると他人軸である場合がほとんどです。
他人から見た自分を気にしている状態。
それこそエゴなんです。
軸はあくまでも自分にあることをお忘れなく。
他人の目や声より、
「何か違うかも…」という心の声を
大事にしてあげたいものです。
****
こんな出来事を「ただの偶然」だと捉えるのか、
重要なメッセージだったと捉えるのかは、
もう自分次第ですけどね。
本来、おみくじって、
引く前にかなり儀式的なことをやって、
精神統一してから引くのだそうですね。
ちなみに、おみくじ発祥の地は滋賀で、
比叡山の元三大師堂というところです。↓
ここでは、まず僧侶に悩みごと(お尋ねごと)を話し、
おみくじの内容を僧侶から教授されます。
なので、場合によっては時間がかかることもあるらしいです。
私たちが一般的なおみくじを引く場合でも、
単純に吉凶をみるのではなく、
願いごとがある場合は、それを祈りながら引き、
また、心の中で「問い」を立て、
それに該当する箇所をメッセージとして受け取る、
というやり方が、
本来に近いおみくじの引き方です。
今回、その考えにのっとって、
けっこう祈ってから引いただけに…笑
軽視はできなかった。
私が今ハマっているタロット占いも
似たようなところがあります。
最初に「問い」をたて、
(この問いが重要)
精神統一してカードを切りますが、
集中力が途切れたら、私はイチからやり直します。
集中力が途切れる、というのは、
「問い」が定まってない場合が多い。
カードというのはあくまでも道具です。
そこから何を受け取るかがポイントで、
「問い」が濁ってたら答えも濁るけど、
「問い」がシャープであるほど、正確な答えが返ってくる。
そしてカードを切っている自分という人間もまた、
答えを受け取るための道具にすぎない。
その自分が、余計なマインドやエゴに囚われていたら、
歪んだ答えを受け取ってしまう。
だから結局、タロットカードなんかをめくるよりも、
内観や瞑想などによって、エゴに気づき、
本音の本音を掘り下げていくしか道はないんだと思いますが。笑
****
読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^-^*)
先日、奈良の天河神社へ祈祷を受けに行ってきました。
かれこれ5〜6年、定期的に行ってます。
昔は天川というと秘境なイメージでしたが、
最近は交通の便もよくなって、
芦屋からだと日帰りでもサクッと行けちゃいます。
以前、ここでおみくじを引いたスピリチュアル女子グループが、
おみくじの詳しい意味を聞くために、
宮司さんに群がっているのを見て、
おみくじの意味くらい自分で考えろって
これだから嫌なんだよ
くれくれマインドの女どもは
なんて斜に構えていた自分でしたが、
(ホントすいません)
この日、どうしても今後の仕事の方向性に
何かメッセージがほしくて、
自分もおみくじを引いてみたら、
凶!!
そして漢文?!
これは分からん。。
(だから彼女たち宮司さんに群がってたのね…)
私も思わず宮司さん探しました。笑
スピリチュアル女子を揶揄しがちな自分ですが、
自分だけは違う、と思うのも傲慢でしたね。( ;∀;)
ごめんなさい。
さて、
宮司さんは祈祷中だったので、
社務所の巫女さんに聞いてみると、
「ネットで出てくるかも」
とのことでしたが、
じつはこの日、
スマホもタブレットも家に忘れてきてしまって、
ネットで検索とかも一切できない状況だったんです。
しかも、だんなもスマホ忘れてきてて。
こんなことある!?笑
まぁ、そういう機器から離れて
マインドを休める時間も必要なのね、
なんて話してたんですけど
そういえば私、
一応短大の国文学科出身だったことを思い出し、笑
自分で読んでみると、何とか意味は掴めました。
詩の部分をポイント要約すると
「雨風をしのぐ宿もなく、艱難辛苦をきわめる」
「はやく過ちに気づき、改めなさい」
「人との和を大切に、慎み、今は待ちなさい」
という内容。
なにを改めろと言うのですか…( ;∀;)
写真屋やめろってこと?
もの書きやめろってこと?
それともタロットやめろってこと?
いろいろ考えたけど、
ピンとくる答えはなく。
一般的におみくじは、
大吉とかは持って帰って、凶とか悪いものは神社に結ぶ、
なんて言いますよね。
でも本当は、書かれてある内容が大事なんですよね。
凶だろうが大吉だろうが。
たまに大吉でも「え?」って思うような
厳しいことが書かれてあったりもするので、
注意が必要です。
で、
黙って考え込む私に、
だんなが「あんまり気にせんと、早く結んどいでよ」って言うんですけど、
私には、この「凶」が
ものすごく意味のあるメッセージに思えて、
これが一体何を意味しているのか熟考するため、
持ち帰ることにしました。
…
家に帰って、
さてタブレット開いて、
やりかけの仕事をやろうとしたとき、、
ピンときました。
数日前から、仕事上で計画していたことがあって、
タブレットでその企画を作ったりしてたんです。
それを改めて見たとき、
これや。これやめよう!!
って、すぐ気づきました。笑
スマホもタブレットも家に忘れてなければ、
きっと天川でも、これの続きをスキマ時間に書き書きしてたと思います。(^-^;
家を出るときからのすべてが、
メッセージだったかのようです。
タブレットから一旦離れないと、
この企画がよくない(= 動機がエゴだらけ)ってことに、
気がつかなかった。
おみくじの詩にあるように、
この企画を押し通したとしたら、人との調和は乱れ、
大きな損失を招いていたかもしれません。
凶こそ、神さまからの愛だと思って、
これでもかっていうくらい内観すべきでしょうね。
いやホント、神さまありがとう!
な出来事でした^ ^
ちなみに、
真面目な人は、「なんか違うかも…」と思っても、
やりかけたことを途中でやめることに抵抗があるかもしれませんね。
しかし、その抵抗の正体って、
○○さんが応援してくれてるのに…とか、
途中でやめるなんて根性がない(カッコ悪い)、とか、
よく掘り下げてみると他人軸である場合がほとんどです。
他人から見た自分を気にしている状態。
それこそエゴなんです。
軸はあくまでも自分にあることをお忘れなく。
他人の目や声より、
「何か違うかも…」という心の声を
大事にしてあげたいものです。
****
こんな出来事を「ただの偶然」だと捉えるのか、
重要なメッセージだったと捉えるのかは、
もう自分次第ですけどね。
本来、おみくじって、
引く前にかなり儀式的なことをやって、
精神統一してから引くのだそうですね。
ちなみに、おみくじ発祥の地は滋賀で、
比叡山の元三大師堂というところです。↓
ここでは、まず僧侶に悩みごと(お尋ねごと)を話し、
おみくじの内容を僧侶から教授されます。
なので、場合によっては時間がかかることもあるらしいです。
私たちが一般的なおみくじを引く場合でも、
単純に吉凶をみるのではなく、
願いごとがある場合は、それを祈りながら引き、
また、心の中で「問い」を立て、
それに該当する箇所をメッセージとして受け取る、
というやり方が、
本来に近いおみくじの引き方です。
今回、その考えにのっとって、
けっこう祈ってから引いただけに…笑
軽視はできなかった。
私が今ハマっているタロット占いも
似たようなところがあります。
最初に「問い」をたて、
(この問いが重要)
精神統一してカードを切りますが、
集中力が途切れたら、私はイチからやり直します。
集中力が途切れる、というのは、
「問い」が定まってない場合が多い。
カードというのはあくまでも道具です。
そこから何を受け取るかがポイントで、
「問い」が濁ってたら答えも濁るけど、
「問い」がシャープであるほど、正確な答えが返ってくる。
そしてカードを切っている自分という人間もまた、
答えを受け取るための道具にすぎない。
その自分が、余計なマインドやエゴに囚われていたら、
歪んだ答えを受け取ってしまう。
だから結局、タロットカードなんかをめくるよりも、
内観や瞑想などによって、エゴに気づき、
本音の本音を掘り下げていくしか道はないんだと思いますが。笑
****
読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^-^*)
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