どうも。
そらまいです。

久々に毒親ネタを。


毒親よ、なぜ非を認めない?謝らない?


毒親育ちが毒親に望むこと。


それは



子どもを軽んじた非を認めて謝ってほしい



ただそれだけ。


例えば

怖い思い、痛い思いさせてごめんね。
イライラをぶつけてごめんね。
見て見ぬ振りしてごめんね。
失敗や恥をさせないように見張ってばかりでごめんね。
そのせいで人の目ばかり気になるように育ててごめんね。
自立出来なくさせたのは私のせいなのに、上から目線でバカにしてごめんね。



もしも、
そうやって非を認めて謝ってくれたら。

一気に過去は癒されるのになぁ。


てか、謝れよ!!

それが本音。


だけど、それが絶望的に無理なのが毒親。

「なんで私が謝まらなアカンの!(育ててあげたのに!)」

というのが毒親。

非を認めるなんて、
謝るなんて、
まぁ有り得ない。


毒親とはどんな親をいうのか?

派手に虐待することだけが毒親じゃない。

毒親ってむしろ、
一見すると、ちゃんとした普通の親。


しかし

毒親はとにかく謝らない。

子どもの「傷ついた」を認めない。
理解できない。
寄り添わない。


子どもの「出来なさ」に自分の不機嫌をぶつけて、
子どものエネルギーを奪う。



(例えば、私は子ども時代、宿題をやらない子だったのですが、
それを学校から注意された親に、叩かれたり、ほっぺたつねられたり、
「これ以上恥をかかさないで」という叱責と、苛立ち混じりの溜め息に、
思考を停止させて、ただ耐えていました。
なぜ宿題が私にとって必要なのか、全く理解不能なまま。

多くの親は、それを正しい「しつけ」だと思い込んでいます。
しかしそういうやり方は、
私の学力低下どころか、自尊心をも著しく低下させています。
毒親にとっては、学校から言いつけられた宿題は絶対的にやるべきものであり、
「宿題がこの子にとってなぜ必要か?」ということを冷静に説明するエネルギー(愛)や、
もしくは「宿題は絶対にやるべきもの」という常識を疑う感性は皆無なのです。

せめて「どうしたらやる気がでるか?」という感性くらいは持っていて欲しかったです。笑
ちなみに、現在、私の息子は、宿題なし・テストなしの、
自己決定・自由教育を実践する私立きのくに子どもの村小学校に入っていて、
「自己肯定感を育てるとはこういうことか…」と、私自身、育て直しで学ばせられています。
※ 宿題を全否定しているわけではないですよ。)




子どもというのは、
親よりも感受性豊かで、魂のレベルが高い。

子育ては親育て。


(私は息子を授かって、肌でそれを知りました)


しかし毒親はそれが理解できない

子どもから学ぶ、という感性が、
完全に欠落している。

「自分が上」だと、なぜか思い込んでいる。

「してあげてる」と思い込んでいる。

子どもをコントロールすることを「しつけ」だと勘違いしている。



毒親は、どうでもいいプライドにしがみついている。

毒親は、誰よりも恥や失敗を怖れている。

毒親度の高い毒親ほど、
その怖れを子どもに投影し、

「どうしてこの子は意気地がないのかしら…」

と嘆く。


恥をかかないようにチャレンジさせなくしてるのは
アンタなんだよ、
と言いたい。


毒親の心の常套句はこうだ↓


育ててあげたのに。
苦労したのに。
お前がいたせいで、やりたいこともできなかったのに。
感謝しなさいよ。
幸せになってもいいけど、私を超してはいけないの。
結婚してもいいけど、お父さんよりスペックの高い男はダメ、あなたには無理。
私の手の中でうまく転がってくれるレベルの男にしておきなさい。
え?今さら自立なんてやめなさい。
自立なんて、あなたには無理。
生活費なら私が出してあげるから。
遠くに行かずに私の便利のために存在しなさい。
私の顔をたてるために存在しなさい。
あなたのために言ってるの。



これを声に出しても出さなくても同じ。
意識してようが無意識だろうが同じ。

心でこう思ってコントロールしている親はみな、毒親である。


不憫なのは、
こういう育てられ方をしても、
その自覚がなく、
懸命に親の教えを守り、
親のテリトリーの中で生きている人。



親のテリトリーの中で生きながら
「毒親の連鎖を断つ」というのは
ほぼ不可能である。



****


ここから先は、

「何かがおかしい…」そう気づき、
「ここから脱却したい」と望む人にだけ読んでほしい。



毒親の呪いを断って、運気を取り戻そう!


毒親は変わらない。

彼らのどうでもいいプライドは鉄のように硬い。

彼らは自分のプライドを守るために子どもを利用する。

(事実、私の母は自分の正当性のために妹を悪者にしてました。
妹の前では私が悪者なのでしょう。
誰かが悪者になるか、誰かが依存症になるか、誰かが病気になるか。
そうやってバランスをとる、
機能不全家族にはそんな特徴があります)


毒親に、

子どもの気持ちを想像する想像力は、
絶望的に、ない。

子どもの気持ちに寄り添う心は、
絶望的に、ない。


ちなみに、

毒親周辺の大人にこの苦しみを相談すると地雷を踏む。

「あんなに懸命に育ててくれた親に…感謝しないといけないよ」

そう、口をそろえて言うだろう。

親が上。
親が正しい。
親の教えを守れ。
親に感謝しろ。
親孝行しろ。
恩を知れ。


と。

感謝を欲しがる恩人は、恩人ではないと私は思うが)



もう一度いう。

子どもというのは、
親よりも感受性豊かで、魂のレベルが高い。

子育ては親育て。



しかし

年配者ほど、

「子どもを尊重する心」が薄く、

「個人の感性」などすっ飛ばし、

儒教的な「常識」が染み付いている。






新時代。

もう昭和平成通り越して、令和である。

昭和の価値観を引きずっている毒親と同じ土俵に立つのは
時間とエネルギーの無駄だと悟ったなら、

どんな手を使ってでも、
彼らから離れるべき。



毒親側の人間から非難されることは、
幸せへの必要経費みたいなもんで、
もう、しょうがない。


離れることで、
今まで抑えていた色んな感情が吹き出してきて、
一時的には苦しむ。

でも、運は格段に良くなる。

本当に。

世界の見え方が変わる。

人生とは、
こんなにも可能性に満ちていたのか…と気づく。



気づけば気づくほど、

毒親の愚かさが、
毒親の浅ましいウソが、
また新たに見えてくる。

そしてますます
毒親を生理的に受けつけなくなる。



それでいい。

盆も正月も、
わざわざ帰って無駄な神経すり減らす必要はない。


毒親を断つことは、
人生で最高最善の断捨離である。



毒親を断って、空いたスペースには、
欲しかったものがバンバン転がり込んでくる。



あなたに必要なのは、
それらを受け取る覚悟だ。


「わたし、そんなに幸せになっていいの…?」

はい。
いいんです。

あなたにはその価値があるんです。




そうこうしているうち、
毒親と距離ができればできるほど、
もう、「憎い」など通り越して、
「愚かな人だ」と、見下ろすことになる。


そのことに、罪悪感を抱くかもしれないが、
罪悪感というのはエゴの仕掛けた罠だ。


エゴの声ではなく、魂の声を聴け

あなたの可能性はこんなもんじゃない。

その罪悪感によって後戻りすることを、
魂は望んでいない。

もっと、もっと、遠くに行けるし、
もっと、もっと、高く跳んでもいいのだ。


(まともな親なら、これを理解し、手放し、祝福する)


「許し」について


よく、心理学でもスピリチュアルでも
「許しなさい」というが、

許しても、
またひと回り自分が成長するたびに、
今まで見えなかった親の愚かさが更に見えて、

「やっぱり許さなければよかった…」
と、苦しくなる。

(それは、自分が一段成長したからこそ見える景色なのだけど。)

その都度、こりずに「許し」を試みるのもいいが、

許しても許さなくても、
ある程度の、気づきレベルの高い位置に来ると、
どうでもよくなる。



自分が成長するごとに、
「毒親は変わらない」ということが、
よりリアルに見えてくるからだ。

許すとか許さないとか…、
とにかく親にフォーカスする時間すら無駄

そう思うようになる。


人生は短い。

自分の幸せを創造することだけに、
時間とエネルギーを使いたくなるのだ。


↓こんな境地になれば最高だ


許すことは、忘れること。

忘れることは、生きること。



(歌手、Cocco さんのロックな名言)




ほしい愛情がもらえなかったことは、
苦しいけど…
受け容れるしかない。

傷のない人間などいない。

「この傷が消えないと…」とか、
「親のせいで…」とか、
「このトラウマを外さないと…」という、

言い訳はもう要らない。

その言い訳こそ、毒親の呪い。

さっさと捨てないと。


傷があっても自分の人生を懸命に生きる人は美しい。

傷とともに、
成功できるし、幸せになれるんだよ。




まとめ


「許さないと自分は変われない」
そう思うのはエゴの罠だ。

毒親を許しても許さなくても、
幸せになれるし、運も良くなる。


その代わり、
まずはどんな手を使ってでも親から離れ、
素の自分を取り戻し、
自分の好きなことや仕事に打ち込むこと。


****



いつも読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^ω^*)



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