どうも。
そらまいです。

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20代前半の、
食べることとオシャレにしか興味のなかった頃、
オランダのある教会へ観光バスツアーで行って、
なぜだか急に涙がこみ上げてきて、20分くらいだろうか、
祭壇の前の椅子に座ってひたすら泣き続けたことがあった。

その時は、キリスト教に対する興味が薄く、
その教会については、場所や名前も思い出せない。
ツアーに入ってたからバスに連れて行かれるままに行っただけ(もったいない)。

泣いてるけど、悲しいという感情は的確ではなくて、
名付けようのない色んな感情が入り乱れていた。
でも、その感覚を自分の中から放出させてやるためには、
ただ泣くしかなくて。
周りに変に思われないように誤魔化しながら、
心がそうしたいままにさせて、私はただ泣き続けた。



あの感覚は何だったのだろう?
と、今でも時々思い出す。


人間には、「愛」か「記憶」しかないという


生まれてすぐに「こういう風に育ってね」と名前がつけられ、
髪の毛はこういう髪型が似合うよね、とか、
サッカーより卓球の方があなたらしいよね、とか、
ピンクよりブルーの方が好きなタイプだよね、とか、

そういう小さなことが全て「記憶」となって蓄積され、
その蓄積された「私とはこうである」という記憶をもとに
付き合う人を選び、今日着る服を選び、食べるものを選んでいる。


もっと突っ込んでいうと、
生まれる前の、胎児の頃の記憶や、前世の記憶、
先祖や、人類全体が抱えている膨大な記憶、
つまり集合無意識とか潜在意識とか、そういうものも、
私たちの「記憶」には含まれている。


例えば、赤ちゃんの頃の私は、
いつも新聞紙をビリビリに破いて、
何かに対して怒っていたらしいけど、

両親も、娘が何に怒っているのかは分からなくて、
怒っている理由は、本人の「記憶」だけが知っているのだ。

表層意識ではその「記憶」を思い出すことはできなくても、
カラダが感情を覚えている、という感じだろうか。
それとも赤ちゃんの時は出来事を覚えているのだろうか。

いずれにしても、物心ついた頃から現在に至るまで、
よくわからない怒りが湧き上がってきて
「これは何の怒りだろう?」と悩んできたのだけど、

それは前世とか集合無意識とか
太古の時代からの先祖の記憶も含めた「記憶」によるものだと知った。



「愛」か「記憶」かのどちらか、とは言っても、
ほとんどの選択が、愛ではなく、
この膨大な「記憶」から行われている。


選んだ仕事、やらずにはいられない趣味、
なぜか好きになってしまった人、さっき食べたランチ、
あらゆる選択が、愛ではなく、
膨大な「記憶」を基準にして選ばれている。

カルマ、と言ってもいいかもしれない。
「記憶」によってカルマが生み出され、
それによって選択したことが、またカルマになる。
その連続が私たちの一生。


一方の「愛」とは、何の記憶も持たないゼロの状態
裸のハート。
人間が「愛」をすぐに選べないのは、「記憶」が重すぎるから。


「愛」は、今私がポテチを食べるより、
自然素材を使った手作りの料理を食べるほうを選びたがっているのだけど、

それじゃ時間がかかりすぎる、手間がかかりすぎる、
お金がかかりすぎて生活が脅かされる、
しかしポテチを手に取れば一瞬で寂しさは紛れ快楽が手に入る…
と「記憶」が言うものだから、

「記憶」によって自分への「愛」は遮られ、
ポテチを手に取ることが正当化される。

そして肉体と思考にまた新たなカルマを生む。
このエンドレス。


愛を選ぶにはどうしたらいいか。
愛を選ぶ人生にはどんなことが起こるか。


………


ホ・オポノポノをご存知だろうか?

ざっくり要点だけをまとめると、

私たちが毎秒生み出している記憶(カルマ)を、

● ありがとう
● ごめんなさい
● 許してください
● 愛してます


この4つの言葉で消去(クリーニング)していき、
裸のハートを取り戻す、という方法。

愛にとって邪魔なその「記憶」たちを一瞬一瞬、消去していけば、
記憶のデータベースにとらわれず、
愛の選択(ゼロからの選択)ができるようになる、というもの。


愛を選ぶ人生にはどんなことが起こるか?

もちろん、心が楽になる。
そして、本当の願いが叶う。

本当の、とわざわざ言うのは、
私たちが「夢」だとか「やりたいこと」だと思っているソレは、
じつは「記憶」によって作られたイメージで、
本当に心が望んでいないことだったりする。

(だからいつまで経っても叶うことはない)


じつは私は3〜4年くらい前から、
ホ・オポノポノの4つの言葉を実践している。
ホ・オポノポノのことは、本も読んだことがなくて、
あまり深くは知らなかったけど、
直感的に「これはよさそうだ」と思ったから。
簡単だしね。

● ありがとう
● ごめんなさい
● 許してください
● 愛してます


基本はこの4つの言葉でクリーニングする。

私はこれに、

● すべて許します
● すべて委ねます
● 手放します
● 調和します
● 幸せです


この5つをオリジナルで加えて、
朝、入浴中、寝る前、の1日3回、
記憶のクリーニングをしている。

今では、完全に習慣化していて、
意味とか、「何にどう効くか」とか考えずに、
カラダが勝手にやっている感じになっている。

そんな今になって、

何となく手に取ったこの本↓
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ウニヒピリのおしゃべり ほんとうの自分を生きるってどんなこと?


表紙の絵が可愛くて、思わず買ってしまったのだけど、
これを読んで、今更ホ・オポノポノの理論を知って、
自分のこの数年間をふり返ってみると、
ホ・オポノポノの軌道修正力のすごさを改めて感じたのだ。。

ウニヒピリというのは、すべての記憶を保管する内なる子ども
インナーチャイルドというのにも似ている。

でも私には、インナーチャイルドより
「ウニヒピリとの対話」を重ねることの方が、
前向きで、枠がない気がする。


ホ・オポノポノの4つの言葉を実践しつつ、
このウニヒピリとの対話を大切にすることで、
(簡単にいうと本音を大切にする)
より心が楽になる。


ホ・オポノポノを知るにはこちらも分かりやすい↓
たった4つの言葉で幸せになれる!心が楽になるホ・オポノポノの教え



私の人生はいつも、
頭では「こうしたい」と思っても、
自分(魂)にとって違う方向に行こうとすると、
何かしらのストップが入ってそっちに行けなかったり、

それはもう大きなストップもあれば
日常レベルの小さなことも沢山あるのだけど、
とにかく、行き着くべき所へ行き着き、
落ち着くべき所へ落ち着くように、
いつも軌道修正されている感じで。

気がついたら、
やりたくなかったことはやらずに済んでいて
(その当時のマインドはやりたがってたことも含め)、
やりたかったことは何だかんだ言って全てやってきた。

そしてまた何だかんだ言いながらも結局、
自分という人間が上手く生かされるような環境に行き着き、
希望通りの所に落ち着いている。

(やりたくないこと → 乗り越えてなくていいこと、ではない。
やりたいことの中に、乗り越えるべき課題もある)

今更ながら、ホ・オポノポノすごい。
もう他のスピリチュアルは要らないかも、と思うくらい。笑


過去の原因探しをやめて、
4つの言葉でひたすらクリーニングするだけ。


想い、言葉、行動…
カルマは毎秒毎秒生まれているので、
きっとクリーニングをいくらやっても追いつかない。
だけど、やらないよりは100倍いい。

もしこれをやってなかったら、
自分の人生はどこかでもっと負荷がかかって曲がってただろうし、
逆に、
もっとクリーニングを瞬間毎にやってたら、
もっと沢山のことに気づき、
もっと早く望みが加速していただろう。


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吉本ばななさんの短編小説から始まって、
平良アイリーンさんとの対談がまとめられたこの本。

めっちゃ心豊かになります。
やっぱり吉本ばななさんの言葉は、聖なる存在(インスピレーション)に繋がってるなぁ。


その後に何ですが、笑
拙書の方もヨロシク。↓

下空マイ子の本。絶賛発売中!

book sss

眼鏡をかけたシャーマンの教え ~アヤワスカの精霊と私~


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読んでくれてありがとう
今日も
ご縁のあるすべての人がゴキゲンでありますように(*^ω^*)