阪神大震災のとき、高校2年だった。

灘区の実家は全壊したが、両親と私と妹の家族4人全員無事だった。

暗がりの中、着の身着のままで外にでて近所の人達みんなで声をかけあい近くの小学校へ向かうことに。
実家から歩いて10分ほどのところに祖父母の家がある。
祖母が肋骨を折ったが、みんな無事だった。

火がせまってきていた。

祖父母の家は、戦後、祖父が裸一貫で商売してようやく建てた家だった。
逃げなきゃいけなかったが
崩れていく家、燃えていく家を、呆然と眺めている祖父の横顔が今も目に焼き付いている。

私たち一行は、
それから3カ月ほど、近くの避難所だった小学校の理科室で過ごした。

避難所へは次から次へと負傷した人や死体などが運び込まれ、
突然の身近な人の死が受け入れられずにパニックになる人もいた。

一番困ったのは、やはり水がないことだった。

毎日、水を調達するために配給車が来るところへ行き、バケツリレーをする。
避難所から少し遠いときは大きいタンクなどで各自運ぶこともあった。
妹は地震が起きたとき、インフルエンザで学校を休んでいたが、
若い者の力が貴重だったのでその身体で水を運んでいた。

トイレは最悪の状態だった。

個室のドアの高さくらいまであった、便やら排泄物やらゴミの山。
はじめはパニック状態だったが、いろんな救援物資が届き、少しずつ団体生活のルールや役割分担ができていき、掃除も交代でするようになった。

報道されていたかどうかは知らないが、この事態を利用した性犯罪などもあって、
夜は一人で歩かないようにきつく言われていた。

食べ物は豊富にあった。
世界中から菓子パンやインスタント食品が段ボールで届き、ありすぎるくらいだった。
それに加え、ボランティアの方々が連日、炊き出しにきていた。

普段は食べられないような珍しい料理もあって、高校生で食べ盛りの私は密かに毎日楽しみにしていた。
大人たちの間では、
避難者たちに紛れて身元のよくわからないホームレスなどがいることを問題視する声もあった。

いつもは厚かましいババアが、山口組が炊き出しにきたときは静かに列に並んでいる。(笑)

こういう非常時には、人間の良い面も嫌な面も、いろいろ見えてくる。

あまり親しくなかったような人が、ものすごく心配して避難所まで見舞いにきてくれることもあった。
逆に、
いつも親切で仲の良かった近隣の人が、人が変わったかのように物資を取り込んだり。

ある程度、復旧のめどが立つと、今度は傾いた現実へ立ち向かっていかねばならない。
墓石屋を営んでいた実家だが、
「墓が傾いた、倒れた、何とかせぇ、、」のクレームの嵐…。

元々酒飲みだった父は、避難所にいるときでさえも、
見舞いに来てくれた人が酒好きの父にと持ってきてくれた酒をのみ、
それらがなくなってもどこからか酒を手に入れては、理科室の湯呑みに注いで朝から飲んでいた。
やりきれないのだろう。

そんなこんなで、避難所生活を3ヵ月ほどで卒業。

「被災者」 といっても、十人十色だ。

大切な人を亡くしたかそうでないか、、
家が全壊したのか、半壊だったのか(全壊と半壊とで補助金の額が違う)、、
家が壊れてないからって困らないかといえばそうではないし。
立場や年齢によっても捉え方が違う。

結局、

自分の視点しか持つことはできない。

私は避難所生活で意外な楽しみがあった。
送られてきた救援物資の中に、何冊かの本があって、
こんな非常時に本なんか読む呑気者など…とか思いながらも手に取ったのが
シドニィシェルダンの「明日があるなら」。

もう、めちゃくちゃ面白くて。
これ読んだ瞬間、なんでもやれそうな気分になった。(笑)

ほかにも「ゲームの達人」とか何冊かシドニィシェルダンの本があったので全て読破。
スカッとしたー(笑)
これ送ってくれた人、もう最高!
届いたよ!!思いやり。(^^)

それ以来、しばらくはシドニィシェルダンの本はよく読んでたなー。
最近ではすっかり忘れてたけど(^-^;

なにが慰めになるか、分からんもので。

ついでに自分のラッキー自慢なのだが
震災の前日のこと。

当時、
タンスの上に、立派なガラスケースに入った日本人形と、フランス人形があった。
その2体の人形は私が生まれたときからすでにあって、

不気味なだけで、全然可愛くないし、デカいし、ジャマなだけだったが、
母の結婚や出産のお祝いで貰ったものらしく、大事にされていた。

震災の前日の晩、あらゴミの日だった。
なにか大きなものを捨てよう…ってことで、
その人形たちを無性に捨てたくなって、母に頼んだ。

母は「お祝いの頂きものやし…」と言って渋っていたが、
どうしても気持ち悪いし捨てたい、ちゃんと手合わすから、
といって、
あらゴミに出すことをOKしもらい、捨てに行った。

タンスの上はスッキリ。
そしたらあの地震。
もし、その人形たちがそこに居たままだったら、
ごっついガラスケースが頭上にドーン…だっただろう。
打ちどころによっては死ぬ場合もあったかも、、。
瓦礫の中から見えたあの人形に、しっかりと手を合わした。

避難所生活も慣れてくるもので
ホームレスは3日やったらやめられない的な気持ちも、
分かるような気がした。

与えられ、優しくされ、
慣れてしまった環境の中からまた平穏な日々を立て直すために、
立ち上がらなきゃいけない。
お年寄りなどは、なお辛いだろう。

その平穏な日々をどう輝かせるか。
フツーに生きることそのものが苦しいことだらけやなーとも思う。

生きるとは苦、ってブッダも言ってるし。

だけど、
こうして生きてる以上、前を向いて次のステップへいかないとね。

黙祷。
今日もフツーに生きれてありがとう!